第7回 6月21日

第7回6月21日   名提出  満足度

感想

イメージという言葉が、人それぞれ異なった用い方をしていたのが面白かった。

スポーツの分野で、やり方を見せることで、上達に繋がるというお話があったと思います。臨床動作法では、映像を観ても、即、上達に繋がらないのが面白いなと思いました。

臨床動作法の中で、動作イメージについて、もう少し、深く話し合える機会があるといいなあと思いました。動作イメージなしに、セラピストは、課題提示することは難しいのではないでしょうか。ももちゃん先生は、よく、からだの行く先に合わせて援助するのよとおっしゃってましたが、それも、動作のイメージなしには援助できないのではないと思います。

宮脇先生が、動作課題を援助しているときに、トランスに入っているとおっしゃってました。よくわかります。臨床動作法で面接をすると、自分が多少疲れていても、元気になるのがわかります。トランスに出たり入ったりすることがいいといわれていますが、セラピストにとってもいいことなんだなと思いました。(OM資格者)

 

視覚イメージについて、ぼんやりありのままを見るような構え方であると、改めて説明していただいて、ようやく少し理解できました。私の場合、ぼんやりイメージが出てくるのを待つ「構え」を持つだけでも、気づきがありました(普段の物の捉え方とは違って、気持ちが落ち着きました)。視覚にこだわらなければ、イメージすることが人間として生きる(生活する)ことと深く結びついているというお話は、実感として納得できました。

                                                                    (FY資格者)

 

 

第6回 6月14日

第6回6月14日  8名提出 満足度4.3

感想

イメイジのコントロールが自己コントロールにつながっていく、ということが読んでいると、なるほど、と思うのですが。それを誰かに説明することはとても難しいです。自己コントロールがどうして必要か、についても何度も「はじめに」のところろ読んでいるのですが、誰かに説明することはやっぱり難しいです。(KK資格者)

 

現時点で、自律訓練法の重感、温感の体験ができていないので、皆さんのお話を虚心にお聞きすることにします。

虚心/持念/留意については、この第三階梯でも言及されていますが臨床動作法においてクライアントの緊張を共感的理解するためにもそういった態度が重要なのでは?と感じました。しかしながら、虚心:注意が居着かないようにしながら 持念/留意しようとすると、虚心でなくなる という難しさを感じます。漠然とした留意というのも、なかなか難しいです。練習を重ねます。(SH中級者)

 

「おまかせ」の話題は面白かったです。

渡邉先生が重力におまかせとおっしゃってました。重力というと大きすぎるかもしれませんが、自分自身にまかせる=自分の軸にまかせるということでしたら、重力におまかせというのもわかりやすい表現だと思いました。軸は、重力抜きにして作れないものだと思います。

以前、杉下先生が、動作のやり方が変わるというのは、自分のやり方に何かしがみついていたものを、違う方法へ持ち替えるというイメージがあるというようなお話をされていました。成瀬先生に、援助されて、あーーとなるときは、まさにこの持ち替えざる負えない状況になるということなのかなと理解していました。(OM資格者)

 

本を読んでみて、イメージの力を用いることで夢のような体験ができそうだと思い、とてもワクワクしました。

皆さんとお話をして、そうした体験が動きだすためには、主体的な努力をする時に内的集中を高めること、自分に「まかせる」ような態度をもつことが必要なのだと感じました。

                                                                    (NK初心者)

 

イメイジのところを読んでいて、仕事が忙しすぎて、家の中がめちゃめちゃになっているところを想像していました(笑)

動作こころは家の中で、言葉こころが仕事という感じです。時々家の整理をしないと、QOLは良くならないですよね…。

話に出ていた「お任せ」ですが、伺っていると集中する自分に任せるとか、体験していることに任せる、といった感じなのかなと思いました。私が「お任せ」を使う時は、そのからだの感じを味わってもらう目的があるように思いました。

スライドとか運営は大変だと思いますが、次週も宜しくお願いいたします。(NH資格者)

 

この本を読み始めて、なぜ自己コントロールが必要か(つまり、目的)がよくわからなかったのですが、先生方の解説や皆さんの議論を聞いて、自分なりにわかってきました。自己コントロールに取り組んだ(鍛錬した)結果、自分自身がよりよく生きられること(現実適応の改善)につながらないと取り組む意味がないように思います。逆説的な感じですが、内的注意集中を自己コントロールできるようになると、外的な現実適応がより良くなるということなのだと、ようやくわかってきたところです。(FY資格者)

 

胸を膨らませないように援助して、腹式呼吸をできるようにすることはとても役に立つように思うが、それは呼吸の動作法になるのか?

イメージと動作法が結びつかない。イメージは言語面接?動作法は動作面接?こう考えると分かりそうな分からないような…(YM資格者)

 

視覚的イメイジを思い描くこと自体が難しいです。リラクセーション、メディテイションをへてたどり着かないと試せそうにありません。視覚イメイジは皆さん、目を閉じると写真や映像を見るように見えるのでしょうか?私は今のところ像は見えず、言語と見えないけど形の記憶を思い出している感じです。そんな状態でも、以前壷イメージの体験会では、とても良い体験ができたので、へこたれず試してみようかと思いながら日にちがたってしまいました。(MA初級者)

 

質問

p159「イメイジと思い出の違い」は、理解していても難しい人がおられると思います。ここは地道に練習してもらうしかないのでしょうか?(KK資格者)

 

①成瀬先生は、動作法の本の中で「からだ」と平仮名で表記されているのですが、これはどのようなお考えがあったのでしょうか。

②以前、睡眠に入る前に意図せず半覚醒の状態となり、イメージの世界で好きな音楽を奏でられる状態になったことがあります。その一方、いわゆる金縛り状態になった時は、ただ体から生じる恐ろしさだけでイメージを扱えませんでした。意識の状態にもいろいろあるのでしょうか。(NK初心者)

 

 

自由記述

大石先生の音声が少し聞き取りにくいので、調整していただけると幸いです(KK資格者)

 

次回(6月21日)は参加できません。事後のビデオ視聴とさせていただきたく宜しくお願いいたします。(SH中級者)

 

感想のパワーポイントの文字をもう少し大きくしていただけると嬉しいです。(OM資格者)

 

第5回 6月7日

第5回6月7日  12名提出 満足度4.4

感想

今回も催眠についてのディスカッションが中心でしたが、催眠というとM1の頃の体験を思い出します。

同じ研究室の年長の学部4年生の卒研の催眠を用いた実験の被験者になりました。当初、それを何回か実施するというお話でしたが、実際には1回のみしか行われず、中断について実験者から何の説明もありませんでした。その頃の私には自分から理由を問いただす勇気がなく、「私がダメだから被験者として失格になったのでは」とずっと気になっていました。今思えば、その時の私は実験者の想像以上に反応(暗示性が高すぎる?、幼少期のイメージに不安要素あり?)してしまい、実験者が自身の力量不足から実験を続けるのが怖くなってしまったからかもしれないと思います。この体験が私にとっての催眠にまつわる小さな外傷体験で、それは実験中断というより、中断の理由を「ちゃんと説明してもらえなかった」ということにあると思います。

これは実験の話でセラピー場面とは少し違うかもしれませんが、セラピーでクライエントと向き合うときには、セッション内で起こっていることをちゃんと共有できる関係でいたいと思っています。私の力量不足から適切な援助ができず、クライエントが課題に十分に取り組めないということは多々あると思います。そして、あの時の私のように、クライエントが本当は疑問や不安を抱いているのに聞けないでいるということがないようにしたいと思っています。十分とは言えませんが。自己コントロールや動作法とは全く関係のない話ですが、この本を読み、みなさんとディスカッションをしていて、改めて考えさせられました。(AM資格者)

 

「内的集中」という言葉を聴くと、なんとなくわかったような気になりますが、実感することはとても難しいことだと思いました。マインドフルネスが大流行ですが、その実践はそれほど優しくないのでは❓とあらためて。思いました。(KK資格者)

 

動作法では「おまかせ」、ゆだねる体験を導入されることがありますが、筋肉弛緩によるコントロール、瞑想による自己コントロールでの取り組み方が、自分自身で、ある程度課題をして後は自分の反応に内的集中をしながら委ねていると思うので、動作法との関係を感じました。「さいみんはかかる」ことに意味がある、体験様式の変容に関わるという話は、印象に残りました。(MA初級者)

 

「瞑想による自己支配」の「支配」という用語が気になっていました。本の題名も他の章も「コントロール」なのに,ここだけ「支配」?「支配」の方が「隷従」感が強いイメージ/先入観で違和感を感じていました。しかし、「支配」の漢字を見ると「支え/配る」。

解剖学者の養老孟司の「西洋では自然をコントロールしようとするが、日本は手入れするという態度」という考えを思い出しました。つまり、「自己支配」とは、客体として操作するのではなく自己(からだと心)を信頼し、支え/支えられることで恵み(再構築された態度)を得て、からだも心も豊かになる(分配)ただ、それなら他の「コントロール」も「支配」の方がしっくりくるような気もして・・・(SH中級者)

 

自己コントロールの話を考えていても、常に、臨床動作法と比較して聞いてしまう。こうやって、考えることで、臨床動作法はなぜ効果的なのかをまとめていける切っ掛けになります。(OM資格者)

 

催眠のお話に関して、あまり経験がないからと発言したのですが、勉強不足を実感しました。動作法についても同じように発言する自分がいることに気がつき、姿勢を改めようと思いました。(NK初心者)

 

本日もありがとうございました。催眠であっても、動作法であっても、確かに体験様式が変わることが大切で、それを変えることができた自分に出会えることが、大切なんだと思いました。自律訓練法も、半信半疑でもやってみて、本当に暖かくなるんだ!っていう発見が、自分を変えることができるという、可能性につながるのかな?と、感じていました。

                                                                    (NH資格者)

 

動作法と自律訓練法の違いを考えていたのですが、宮脇先生のお話をうかがい自分の中で納得がいった箇所がありました。それは、動作法の援助の際に本人の能動性を大切にしている-本人が内的体験に注意が向けられるように、さらにポジティブな手ごたえ感が得られるように意識して援助する-という観点です。とても大切な観点で対人援助の基本だと再認識しました。私はこの本を読んで、なぜ自己コントロールが必要かという説明(新鍛錬主義)が、いまいちピンときていなかったのですが、本人の能動性が心身の調整の基本にあると考えることで、理解が進んだ気がしました。(FY資格者)

 

1)『催眠も臨床動作法も使い方』と言った意味は、一つはパターン化して用いるものではなく、見立てた上で必要があれば、必要な課題を使うということ。もう一つの意味は、構造化された面接室で継続的に面接する場面のみでなく、アウトリーチの場面でも使えるのではないか、ということです。

2)臨床動作法の初心者のクライエントの多くが体感を分からないということでしたが、一見すると姿勢は変わっているように見えるが、実際はその人のからだの核となる部分で、まだ頑張っており、その頑張りがその他の部分の感じの邪魔をしており、核となる部分が変化してこないとからだの他の感じが分かりづらいということはないでしょうか?

                                                                    (MY資格者)

 

自分は何回か催眠の研修会に出た時、「目をつぶって暫くすると山が見えてきます。見えましたか?」となるところ、山が見えてきます。を言わなかったら「見えてきましたか?」と聞いてもいつまでも「見えてきました。」とならなかったのが印象的でした。山を見る催眠をやっているのだからそれがわかっていれは見えてきそうなものなのにと、とても不思議に思いました。が、ここが動作法にも当てはまるところかなとも思います。もう1つは相手の方が「断崖が見えます。」私が「では後ろを向いて安全な所に行きましょう」と言うと「家が見える。おばあちゃんが居る」・・・・と、勝手にどんどんイメージがふくらんでいったことがあり、びっくりしました。私は間に2~3言挟むだけで私の存在とは関係なく展開していきました。その後、本人はとても爽やかで満足そうでうらやましかったです。あと、「あなたの肘が動かなくなる」のをやって、これは動かない素振りなのではと思い「本当に動かないんですか。」と聞くと「今は本当に動きません。」と言われたので本当なのか!と思いました。というのは自分では催眠感受性が低いのだと思いますが、腕浮揚とかの課題でもここはそうすべきだろうと思ってやっているような感じで入っていけないところがあります。

動作法の触らないタイプのは、違う動きになった時にロ頭で違うと即座に言うと、違いを感じて直せる人が結構居て、そういう人には伝わりやすいが、また別のタイプでガサガサと動かす人は、ゆっくり動かすだとか、方向とかは手を使って誘導しないとロ頭では伝わりにくいです。ロ頭でもいいと思える時とロ頭では無力だと思う時があります。また、ロ頭では無力な人にこそ動作法が必要なのだとも思います。

以上は感想でなかったですが書いてしまったので送ります。(KY資格者)

 

コントロールがしやすい部分が優先して残されていて、内臓といったどちらかと言うと不随意でコントロールしづらい部分に関しては削除されたのかな?などと考えました。不付随でコントロールしづらい部分は暗示でないと変化させづらいのではないか?なので、セルフコントロールと暗示の比重を考えて、セルフコントロールを優位にするため削られたのかも?などと考えました。(SN中級者)

 

催眠は「自分でかかろうと思わないと、かからない」という言葉は印象的でした。その背景には、表面的な変わりたいという思いではなく、できるようになれば良くなるはずという前向きな確信に基づいた、かかるための努力が必要になるのでしょう。その上、どこに向かっていけばいいかわからない状態だと、モチベーションは維持しにくいため、その方向性を体験的に、実感を確認しながら関われる動作法は、非常に便利な方法なんだと思ます。(ST初学者)

 

 

質問

自己暗示と瞑想の違いが今一つわかりません。(KK資格者)

 

この本に書かれる練習は、やはり順番に1つずつ練習をしていくことを意図されているのでしょうか。例えば、イメージに初めに取り組むようなことは可能でしょうか。

瞑想をしている時に、痒みが出た時などはどのように対処するとよいでしょうか?

                                                                    (NK初心者)

一気にさかのぼって見ているため、質問が前後して申し訳ないのですが、5/24の徐反応について質問です。実際に面接場面で、そのような状態の方に遭遇した場合、どのように対処(仕切り直し)をしていったら良いでしょうか?

あと、本書71pに関しての質問ですが、図11の足首伸ばしの課題ですが、実際に私がやろうとすると、ふくらはぎの伸筋ではなく、足首の部分そのものに緊張より強く感じます。どうしたらふくらはぎの伸筋に緊張を感じられるのでしょうか?(SN中級者)

 

 

自由記述

なし

 

第4回 5月31日

第4回5月31日  12名提出 満足度4.5

感想

今回初めて、後半からでしたが参加させて頂きました。前半は録画で視聴しました。宮脇先生、大石先生の体験に基づいた深〜いお話やみなさんの熱心なディスカッションの様子を伺い、ここ何年もこんなにじっくり一冊の本を読み込める機会が得られたことにワクワクしました。

この本を読み進める中で思い出したのは、成瀬先生が「催眠なんかやらなくても出来るんだもん。(という意味のことを)」とおっしゃっていたことです。特に、p.103〜の自己内部への注意集中以降の部分を読むと、催眠(勉強したことがないので間違っているかもしれませんが)で起こる心の状態に近いことが、内的注意集中、すなわち、からだの感じに注意を向けることによって得られるというようなことを示しておられるのではないかと思いました。以前から催眠についても勉強してみたいと思っていたのですが、ますますその思いが強くなりました。(AM資格者)

 

久しぶりに意識して内的注意集中を行ってみました。重感を感じるのには少し苦労するのですが、温感は感じやすく感じるのは、過去に温感を感じたいと何度も繰り返してきたため、イメージの明確さに差があるのかもしれません。内的注意集中力をより高めて維持するためにも、イメージの明確さは必要になってきそうです。(ST初学者)

 

私は「記憶痕跡」→「エピソード記憶痕跡」→「体験」と捉え、p103の最初の段落は、一般的には、曖昧になっている(普段はあまり意識しない)体験を活性化させる、というように理解しました。病的なPTSDではこの体験(記憶痕跡)が勝手に暴走することになるのだと。そうすると、リアルと記憶痕跡を行きつ戻りつすることで落ち着いていくというのは、まさにPTSDの回復プロセスと同じことかと理解しました。宮脇先生がおっしゃっていたリアルとファンタジーを能動的に行きつ戻りつすることは、こころが落ち着いていくのだと思いました。

ちょっと脱線ですが、最近読んだ『トラウマセンシティブ・マインドフルネス』という本にも、マインドフルネスでトラウマ体験が活性化する場合があること、その際の対応が書かれており、それはどのようにリアルと接点を作っていくかという工夫が記されているのですが、身体感覚を非常に重視しています(すごくざっくりな説明ですので、興味を持たれた方はご一読下さい)。動作法を実践していると、この本に書かれていることは、それはそうだろうと非常に納得するところです。また、『自己コントロール』では、ここに書かれていることを実践したさいのリスクがきちんと記されていることに、成瀬先生の慧眼と誠実さを感じます。(KK資格者)

 

記憶痕跡が体に蓄積されているという話は、現在ではトラウマを説明するときの話でよく聞かれますが、1960年代に、記憶が体に蓄積するを心理教育本で話されているのは、大きな特色であると思いました。成瀬先生の話は、体験、経験に即した理論、心身の在りように即した理論であると思いました。一度経験したことを外的刺激がなくても、人間は、経験を再現できるいうのは、しんどい経験にも引っ張られてしまうことになるので、今ある体に注意を集中させ、今の自分をコントロールしていく練習が必要なのだと思いました。104ページの「経験の内容や仕方」という所の表現で、経験の仕方をコントロールという表現から、動作法への流れを思いました。(MA初級者)

 

自己コントロールの仕方を習得するのが課題

そのためには,内的集中の対象を,重感と温感に限定し,公式と構成を最大限尊重した,自己暗示により行う。

大切/有効なのは,虚心・持念・留意であり,身体部位への心の向け方であり,それは,はじめに明確に理解できるものではなく課題の達成により,初めて把握されるものだという風に理解しました。これから,じっくりと取り組みたいと思います。(SH中級者)

 

瞑想の話が出てくるのが興味深かったです。(OM資格者)

 

現実とファンタジーの狭間の世界について、得体のしれない何となく恐ろしいものという印象を抱いていました。皆さんのお話を聞く中で、それらは支配できるもので、身近に存在しているものなのだと感じるようになりました。(NK初心者)

 

大学の授業で自立訓練法を体験しました。何人かの学生さんは、ちゃんと感じられたようで、「これは一体何だ?」とか、「うわ?)と表情にも表れて、体験されたことがわかります。でも、「あぁ、感じましたけど?」という、表情にも出ないし、感動する様子もない方もいます。感動する様子もない方にも、体験した振りをされている方と、表現が苦手な方もいます。セラピーとして行う時は、クライエントさまに本気になってもらえるような工夫が、セラピストに必要かな?とも思いました。その点、動作法のほうが、その気にさせやすいし、その時の効果?みたいなものがわかりやすいなと思いました。(NH資格者)

 

これまで自律訓練法と動作法とは別物のように捉えており、共通性についてあまり考えたことがありませんでした。今回の勉強会を通して、どういった要素が共通で、どこが違うのかを考えられると、動作法についての理解が深まる気がしました。「禅定に似た特異な体験」の節に、公式で練習を続けていくと「心とからだとが相関的に機能する有機体のいわば統一的、安定的な状態が生じてくる」とあり、心身一如の考え方が自立訓練法(自己コントロール)にはあるのだと思います。動作法も心と身体で一つのものという考えが基本にあるのは共通かと思います。動作法は動作を扱っているところが違いだと思いますが、、、両者の違いについてもう一週間考えてみようと思います。(FY資格者)

 

意外と多くの方が自分で自律訓練法、メディテーションをしていることが驚きだった。臨床動作法に関心があるから、しているのか?そもそも自己啓発として多くの方が関心を持っているのか、多くの方が自分のからだとこころに関心があるなら、他者援助の為の勉強だけでなく、自己啓発のための臨床動作法の体験型の勉強会?があっても良いのかな???

                                                                    (YM資格者)

 

身体をコントロールする事と自己暗示では、どちらも催眠の状態を経験したときと似ていると思っていたが、これら3つが違うということを注意したことがなかったと気が付いた。

                                                                    (HH初級者)

 

なんとなく動作療法に結びついていきそうな自律訓練法に関するそれぞれの先生方の見解が興味深かったです。(SN中級者)

 

質問

臨床動作法ではからだの部位を表現する時に、解剖学的な名称を使わず、「肩まわり」「肩のここの部分」などといった表現を使うことが多いと思いますが、これはもしかすると、自身のからだに注意を向け、体験しながら内的な注意集中を深めていく時には、解剖学的名称よりは、やっぱり、肩周りや肩のここの部分の方が、しっくり来るからかなぁなどと感じましたが、どう思われますか?また、もしも、その辺りのいきさつをご存知でしたらお話を伺いたく思います。(AM資格者)

 

瞑想について話題がありました。ここ最近、マインドフルネス瞑想が流行っています。実際、チョコレートエクササイズを提示すると、えっとこれで甘いもの要らなくなりました?とこちらがびっくりすることがあります。宮脇先生は、マインドフルがお好きではないようなことをお話でいらっしゃった記憶があります。”瞑想”をどのように考えたらいいのかご教授いただければ幸いです。(OM資格者)

 

この試行時間の3分間、60秒、30秒は皆さんはタイマーで測っているのでしょうか?それとも数を数えているのでしょうか?私は誰かに測ってもらうことが、理想と思いつつ、今はタイマーで測っていますが…(YM資格者)

 

自律訓練法のところ、次章にも少し関連しそうですが、わたしは最初の「こころが落ち着いている」あたりの公式時、風景とか音、風(が額に当たっている)イメージをしていて、それは大学院時代、実習先の病院で教えて頂いたのですが、これはあまり公式ではないんでしょうか?(SN中級者)

 

自由記述

パワーポイントの資料には載せて頂いていたようですが、本書71pに関する足首の質問に対するお答えがどこかで頂けると嬉しいなと思います。(SN中級者)

第3回 5月24日

第3回5月24日  12名提出 満足度4.4

感想

日常生活の中で、必要な緊張と不要な緊張を区別するのは非常に難しいですが、ある程度練習を重ねたスポーツや仕事などの場面で、過度に緊張しすぎず、力を抜きすぎない時、パフォーマンスがとても良くなる瞬間があります。思い返すと、その練習場面では身体の状態を眺めて、自分で意図して体験を繰り返しながら適度な状態を探しているように思います。それを日常動作の中でも意図して行うことができる時、自分の在り方が変わりそうです。(ST初学者)

 

5月10日の感想として、不可逆的な発達になぞらえて動作法のプロセスを記述されろ意見がありました。成瀬先生の他の著書でも、寝る→お座り→立つというプロセスで心に大きな変化が起きると記されていたように記憶しています。自己コントロールを身につけるためには、単なる根性論の鍛練主義と異なり、「新鍛練主義」では、心理療法など科学的な視点が必要だとこの本にもありましたが、援助者としては、人の発達(特に体の発達)プロセスという視点を持っていることも大切かと思いました。(KK資格者)

 

「体験コース」の手続きを表に整理して、丁寧に行ってみました。今まで、適当に自己解釈して行っていたことを思い知りました。

・「1-2分かけて、目を閉じる」ことで、自体へ十分に眼をむけることができました

(すぐに目を閉じると、注意は内に向くだけでなく、かなりの部分は外に向いたまま)

・緊張を感じるとき、課題の部位だけでなく、他の部位、からだ全体にも注意を向けました

・弛緩を感じるのに、「緊張がどのように変化してゆくのか」(「弛緩」の状態)「弛緩する努力の感じ」(「弛緩する」状態)を夫々、分けて感じる緊張についても、「緊張」と「緊張する」をそれぞれ感じるという風に、従来より細かく味わうことができた(心掛けた)

・「体験コース」の中にエッセンスが満載であることを実感しました。(SH中級者)

 

臨床動作法について、本を通して考えることは、普段しないことなので、刺激的です。水曜日の夜は、レム睡眠が短くなり、翌日しんどいです。

先回は、現在のケースで何が起こっているのか、新しいケースにどう対応していこうと頭がいっぱいでした。

翌日、新しいケースの人にお会いして、案ずるが生むがやすしという結果でした。新しいケースは、ある程度知的レベルは保たれていて、ある程度動くことも可能。右半身麻痺。言語機能の低下があり、話すことができない。理解もされているかどうかわからないと、さんざん言語聴覚の人のお話を聞いたので、お会いする前は、緊張しましたし、気持ちも悪くなってました。お会いすると、その不安や緊張は何だったんだというぐらい、あっけなく課題を提示すし、やり取りできました。そういえば、訓練キャンプでは、日本語も話したことがない、身体も今まで動いたことがないという子に対しても課題を通してやり取りができたなあということを思い出しました。

脳梗塞や、脳出血で、中途で運動マヒが起こった人は、重度重複の脳障害を持つ子よりも、動くんだよと、成瀬先生は常々おっしゃってましたが、まさにそうだと、改めてそう思いました。

提示課題は、仰臥位手首曲げ、足首曲げです。右指、右手首を動かそうとすると、ううっと声を上げます。右足首も、援助する前から、拒否の声を上げます。しかし、右足に関しては、三点曲げていくと、右足首も自然に曲がっていき、拒否もありませんでした。右マヒに対して、過剰に反応されているのが印象的でした。この過剰な反応部分を鍛錬していくことが今後の目標となると思っています。

「自己コントロール」を取り扱っている場所が人の中にあるわけで、その部分は、臨床動作法が扱う部分と同じところなんだと思います。日本語でなくても、なんだかしっかり相手とやり取りできたという確信は、臨床動作法のなかで、その部分でやり取りできるから、あ、そうねと、お互いが理解できるんだとおもいます。

課題をした方は、課題をしているときに、目を閉じ、弛緩がすすむと、「おー」と、声を上げられていました。ベットの柵を外して課題をしていました。ベッドの柵をはめようとして、私が逆にはめていたのを、日本語ではないでしたが、私に伝えてくれて、あ、私は逆に柵をつけていたのねとわかり、さらには、ナースコールを柵に絡ませてねと、日本語で言われたわけではなく、そうしたほうがいいねと私はしっかり受け取りました。

臨床動作法をする際に、便宜上、課題はこのようにと日本語で伝えますが、そこが大事ではなく、「自己コントロール」を取り扱っている場所に、クライエント、セラピストが入ることができ、セラピストの援助の手を手掛かりに、クライエントが身体の動きを紡ぎだすことができることが大事なんだと思いました。(長文失礼しました。そして、まとまってません。すみません。)(OM資格者)

 

動作法は、できるようになることを目指すという点は考えさせられました。フォーカシングのアプローチに比べて、動作法とその根底にある自己コントロールは意思を大事にし、合理的な積極的努力をする「新鍛錬」なのだと私なりに理解をしました。

また、自律訓練法の除反応と覚醒水準のお話は、緊張と弛緩のバランスを大事にするということと合わせて、こころと体の間にある領域を扱う上でポイントになるのだと思いました。(NK初心者)

 

差動とは、2本の信号線を使い、一本にはプラスの信号を、もう一本にはマイナスの信号を送り、差分で1か0を表現することだと、Google先生が教えてくれました。その、微妙ならいんに気がつけるほど繊細に捉えろ、ということなんでしようか?

腕の弛緩を行って、だるさを感じながら伺っていました。また、どうしても1-2分かけて閉眼することが難しいです!

頑張って読み進めて、理解できるように努めたいと思います。ありがとうございました。

                                                                    (NH資格者)

 

クライエントが「体験を自分のことばで紡げるようにすること」が大切で(=援助の主要な目的であって)、クライエントがことばで表現した内容にセラピストがことばで意味づける(枠にはめる)ことは、本来の目的を忘れてしまっているという話が心に残りました。安易に意味づけをしてしまうということは、どこかでクライエントの内的努力に敬意を払っていないセラピストのあり方が反映しているようにも感じました。クライエントの自己治癒(成長)が目的であるという基本に立ち返ることができました。ありがとうございます。(HY中級者)

 

考えたこと。ストレッチと筋を弛めることの違い。臨床動作法は課題努力法であることの意義。(YM資格者)

 

たとえば動作法を実際に行って反応が強く出た場合に、医療と連携するように言われることが多いが、そのような場合に医療ではどのようなことをするのかについて教えて頂ければ幸いです。(HY中級者)

 

この、章をもう一度読んでみて、自分の実感に寄り添うことは、まるで生き直しのようだと思った。生きているならそれなりにその人を作ってきた身構えがあると思う。自分を信頼できないから型に拘って切り抜ける。指導されたらこの頑張りは無駄だったのかと混乱するか絶望するしかないが、ここで「自己コントロール」である。自分以上の信頼を届けてくれる言葉と感じ、実感を通した自己実現がこの本にある課題の体験に詰まっているように思った。(HH初級者)

 

宮脇先生がおっしゃっていた動作をすることによって、どれだけ言語化するかの感覚がわかるなぁと思いました。患者さんに話をしていて、この言葉はこの患者さんの体験に即しているようで少し遠いとか.そういう違いが考えてみれば、動作療法を学び始めてから変わってきたように思いました。(SN中級者)

 

自律訓練法の公式の中にある心臓調整練習と呼吸調整練習は、成瀬先生の自己コントロール法の110ページに入ってないと二木さんが指摘されていたことに興味を持ちました。成瀬先生の考えでは、それは不要ということなのか、それともどのような理由かがあって扱わないのか?(KY資格者)

 

筋肉弛緩のコントロールのやり方について、具体的によりイメージすることができました。体験コースを実際に自分で体験してみましたが、弛緩の時間を十分にとるという間が自分でとりにくく、集中すると強張ったり、課題の部分だけの緊張を感じるのも難しく、夜試すと寝てしまいました。体験コースを全うすることにも日数がかかりそうです。

体験様式の話ですが、具体的にこういうのが体験様式という話講座の中ではあるようなないような印象を受けています。動作法の見立てでいわれるようなことになるのだと理解しています。イメージ的には、ロールシャッハテストの阪大法でいわれている「何を見たか」ではなく「いかに見たか」を理解する把握型に似てるかもしれないと整理しています。

                                                                    (MA初級者)

 

質問

「馭者姿勢」は、今まであまり聞いた経験がありませんので補足説明頂けるとありがたいです。(SH中級者)

 

 

自由記述

感想提出が遅くなって申し訳ありません。また、31日は都合により欠席いたします。オンデマンド学習で次回に備えます。(KK資格者)

 

今回の閉眼してできるだけ弛緩すると言う方法ですが、実際に自分でやってみると、どこが緊張しているかなどが意識しやすいなと言う発見がありました。比較的事態感があり、健康度の高い患者さん相手にこの過程を経てから、他の動作課題をしたところ、モチベーション高く取り組まれておりましたと言う発見があったので、ご報告しておきます。

                                                                    (SN中級者)

第2回 5月17日

第2回5月17日  11名提出 満足度4.4

感想

弛緩についてこれほど細かく考えてみることはなかった。しかし一方で、書かれていることを頭で考えて読んでいると、頭でっかちになってしまうような気がする。実際の場面ではどうなのかということを想像してみたり、自分自身で何度も体験してみながら読むと、ああ、この感じ、この体験を成瀬先生は誰にでもわかるように言葉を尽くして表現されようとしたのではないだろうか、と思った。(そう思うことで安心しようとしただけかもしれませんが)(AM資格者)

 

自分自身が慢性的に全身が緊張していることが多いので、弛緩することで、恐怖感や居心地の悪さを感じることが多くあります。本を読んで実践してみて、記述と同じような感覚を感じられると頭と体で腑に落ちて、またやってみようと思うことができるので、地道に自分で継続してみたいと思います。

しかし、この過程を他者が行うのを援助する立場になると、変化することへの恐怖を感じる方や変わりたいと言いつつ変わることを拒否する方に対して、自身と向き合う基盤つくりからはじめないと、どんなに時間をかけても上手くコントロールできるようにならないと思われるので、相手に対してどのように「覚悟を迫る」ことができるかを考えながら、臨床に活かしたいです。(ST初学者)

 

5月24日にすでにお伝えしましたが、「自己コントロールはなぜ必要か」を考えるにあたり、本では、総論的(多くの人にとっての)必要性が書かれており、皆さんの議論もそうであったかと思います。一方で「この私」になぜ必要なのか、を考えることも大切と思いました。(KK資格者)

 

45分間の訓練時間を実際どのように過ごすのか、具体的に書かれていますが、どの程度繰り返せるのかが、不確かでしした。実際に試してみようと思います。動作法では課題ができることに注意を奪われてしまいがちですが、自己コントロールでは、自身の感覚の観察に始まり感覚に終わるのだということが、明確に書かれており、また、緊張の仕方や感じ方を教えてもらえる本は、珍しく貴重だと思いました。(MA初級者)

 

「筋肉を弛緩させる」目的として ➀「十分な程度にまで骨格筋を弛緩できるようになること」と、②「自己コントロールの仕方を習得すること」「筋肉の弛緩の感じを確立するという意味」で「心理的な弛緩が課題」であるが「同時に生理的な弛緩をも確立」することが目標。つまり、単に「弛緩」することに加えて「自己コントロールの仕方」が目的であり「感じ」「心理的な弛緩」が課題ということを学びました。

(心理的な弛緩により、結果として生理的な弛緩も実現しているという捉え方をいままで明確にはできていませんでした)(「心理的な弛緩」→「生理的弛緩」)

(これらが、一元的なものであるという理解が)(「心身一元」ということだと今回理解しました)

サロンの中でも申し上げましたがこの本の説明を読んで過去、漸進的弛緩法で感じているの緊張感が「正しい緊張」感でなかったことに気付きましたが現在でも、同様の誤解はたくさんあるような気がします。

じっくり読んで行く中でできるだけ確認していきたいと思います。

また、大石先生の「随伴緊張や慢性緊張にも気を配って」というご趣旨のアドバイスをいただけてありがたかったです。心掛けたいと思います。(SH中級者)

 

この細かい指示の感じで、動作法で援助する側、援助される側の視点で記載してみると面白そうと思いました。(OM資格者))

 

筋肉弛緩によるコントロールについて、分からなかった用語が理解でき、進め方のイメージが湧きました。お話をもとに、自分で体験していきたいと思います。(NK初心者)

 

もともとこの本は、修論でゴリゴリのCBT派の先生に対抗(笑)するため(弛緩法は動作法なんだ!)と説明するために購入しました。そのために、斜め読みになっていましたので、ちゃんと読まないと!と焦っています(笑)

差動という耳慣れない言葉を、もう少しちゃんと理解する必要がありそうです…。

                                                                    (NH資格者)

 

宮脇先生に説明していただいて、新鍛錬主義というこの本の目的の意味がわかってきました。こころとからだを全体で一つのものと考えた時に、実用性をもつ自己治療の方法(能動性や事故努力に注目した方法)を示そうとしているのだと思います。今日のところでは、自分で自分を弛められるためには、からだの感じを感じ取ることが大切で、そこを丁寧に扱っていることが理解できました。(NY資格者)

 

自分で緊張を入れたり弛めたりする過程に主体性の芽が育つのだと感じました。それが不安(ファンタジー)から抜け出す方法になるのだと思います。(HY中級者)

 

成瀬先生が、いかに「実際の体験」を追う事に注目しており、現実を大事にしているかをこの文章立てをもって実感しました。

その人自身のの体、その人自身の努力を大事にされているかがわかっているから、緻密に文章を組み立てておられるのだろうと感じたところです。

その一方で、いかに普段から心的イメージを現実に投影しながら生きているかを思いました。イメージと重なる現実を生きている事により自覚的でおられたからこそ、細かくイメージの繭をほどくように、体を確かめることがここでは必要であったのだろうかと思います。

あるがままの状態の自分自身を「見る」ことで、初めて自身の努力を正当に評価し、捉え、大事にしたうえで取捨選択できるのではないでしょうか。

生きている歴史の中で、今まで抱えてきたものを置いていく、その怖さを超えて、新しい自分にいかに出会うか。そういう意味ではまさしく「修行」で「鍛錬」なのかもしれません。

そのための「現実をとらえる力」を身に着けるプロセスとかんがえれば、なるほど、新鍛錬主義なのかもしれないと、行きつ戻りつしながら考えております。(HH初級者)

 

5/30に送った分に書きました。質問があったので、追記で送らせて頂いております。

                                                                    (SN中級者)

 

質問

71pの足くじまげを自分でもやってみてるのですが、ここのみ効く箇所が本に記載されているところとずれます。テキストでは「ふくらはぎ伸筋」ですが、伸ばし方が悪いのか足首の筋肉を強く感じます。こつなど教えてもらえたら幸いです。(SN中級者)

 

自由記述

皆さんからの質問や発言をお聞きしていて、弛緩=良いこと緊張=悪いこと図式ができやすいように思いました。ついつい、緊張、悪人説と思い出すと、以前、成瀬先生からは、動けばいいんだよ。動くというのは、弛めると同時に入力もしているんだからと言われたことを思い出します。記載して思ったのですが、緊張と入力は一緒ではないですね。言葉をどう使っているのか、シンプルにまとめたほうがいいと感じました。(OM資格者)

 

シュルツやジェイコブソンについて、スライドを見せて頂けると嬉しいです。(NK初心者)

 

第1回 5月10日

第1回5月10日  15名提出 満足度4.4

成瀬先生の書かれたものは言葉一つ一つにとても深い意味があり、いつも「これはどういう意味か」と考え考え読むことになり、とても時間がかかります。宮脇先生のお話を伺いながら読むと、ガイドをしてもらいながら旅をしているようで、良い刺激を受けとてもワクワクしました。紹介される本もみんな読んでみたくなりました。また、宮脇先生の私の知らない成瀬先生のお話はとても興味深く拝聴しました。(AM資格者)

 

ようになりたいという患者さんにお会いしたばかりだったので、自分で自分を緩められることが非常に価値のあることであると再確認できました。

参加させていただきありがとうございました。(ST初学者)

たまたま現在、交通事故後に全身の強張りを感じている患者さんに関わる中で、「自分の力」で緩められるようになりたい、感覚を取り戻したいという話題があったばかりだったため、研修でも自分で緩められる力の価値を再確認できました。(ST初学者)

 

初回から、動作法の本質に関わる大切なお話が展開していたように思います。昨年度、いろいろな心理療法の連続講座に関わる機会があり、各派に共通していたのは、クライアントの体験に目を向けるという点でした。ただ、どうも各派それぞれ、目の向けかたが微妙に違うようでもあり、今日のお話の体験内容と体験の仕方の区別がついているかどうかという点は大切な部分のひとつかとおもいました。(KK資格者)

 

もう少し、本の内容を扱いながら進めてもいいかなと思いました。

話しが広がるのは面白いのですが、今本のどこに関連した話しをしているのか、(できれば順番に)示しながら進めると、みんなにわかりやすいかなと感じました。すみません、自由記述に書く内容でした。(YY資格者)

 

昨年の姿勢の不思議で、印象的だった何もしないと悪化した脳性マヒの方の話でした。最適に保つためには、相応のやり方、自己努力が必要となることを、今年は自己コントロールの本で、学びたいと思います。初学者にとっては曖昧な概念だけでなく決まった形をすることで体験が得られると、心理治療が必要な方と、健康な方との取り組みは違うなど、具体的にどういうことだろうとおもうところがありましたので、つぎなよみすすめながら、確認していこうと思います。(MA初級者)

 

「他のボディーワークとの違い」について触れられましたが今回の精読を通じて考えていきたいと思います。

「心理療法からの発展」で「正常な健康者のための、日常生活に適用するために」「自己コントロールの練習法」を記述されたもの。というように記載されています。

「心理療法との違い」という視点でも読んでみたいと思います。

■■■■今回の学び■■■■■■■■■■■■■

新鍛錬主義として

「本然の能力の妨害条件を排除」することに加え「その能力をなるべく有効、適切に発揮できるようなふうに育てていくこと」が必要

「自己を失わせるもの」「自己コントロールを妨げる多くの有害要因のうち最も大きなもの」は

「緊張」「からだの緊張排除を自己コントロールとして行うとき」「リラクセイション」という。「心の緊張は、現実適応的な心構えによって生じるのだから」「それを解消するにはその態度を捨て去ることが大切」「そうした行をメディテーションとよぶ」「自己をコントロールするため」には「ふだんの自己の構えを捨てさり」「感受性を高める」ほかない。それには「イメイジを利用するリハーサル」が有効(SH中級者)

 

zoom研修では、いつも考えない理論の部分を一生懸命考えるのが楽しいです。

                                                                    (OM資格者)

今まで、動作法と、その他の体への働きかけの違いに関して何となく分かっている感じでいました。

自己コントロールについてお話を聞く中で、そうした違いが、緊張や不安を取り除くことやリラクぜーションに取り組むかどうかという点にあるのだと理解がすすみました。

また、催眠や体験過程との関連の中で、動作法は、自分の意思のもと動作を自動化して自然な流れにしていくことに取り組むのだと考えさせていただき、意思とのかかわり、理解の深化への端緒が得られたと感じワクワクしました。

また、著名な方々の人となり、繋がりについても貴重なお話が聞けて楽しかったです。

ありがとうございます。(NK初心者)

 

本の内容もそうですが、成瀬先生のお考えや、歴史的なお話を伺えたことが、大変良かったです。本を読んで、しっかりと学習していきたいと思います。(NH資格者)

 

オンデマンドで拝聴しました。感想が大変遅くなりすいません。お話の中にでた体験様式と体験内容は、区別を意識できていなかったことでした。まえがきの章で、これほどかみ砕いてお話をしてくださったので、理解が深まりました。何度も見直して、行きたいと思います。(TH初学者)

 

成瀬先生が催眠の先生であったところから、動作法へのつながりを考える機会になった。からだや全体としての自分とのつながりで心理治療を、考えていたということだと思う。自分でゆるめることができる、ということがからだを持つものである自分を信じ安心できるということにつながる鍵になりそうだということがわかった。うまく言語化できないですが、良い機会になりました。ありがとうございました。(NY資格者)

 

今回の範囲を読んでの一番の発見は間違っているかもしれませんが、「動作法は自己理解」ということでした。(YM資格者)

 

直近の申込で勉強が追い付いておらず申し訳ありません

仕事の関係上、時間の調整が難しいため次回以降はオンデマンドで聴講させていただければと思います(HY中級者)

 

自己コントロールがなぜ必要かと考えた時に、自分でなりたい自分になることを選べるからなのではないかと思った。人は自覚の有無に限らず本当にすぐに不自由になれる(し、なりたがる)。

さて、つらつらと動作法の課題をできるようになる過程を思い描いたときに、発達の過程を追う際の記述の表現を借りられるように思った。

「なってみたい自分」があり、なってしまえばもう元には戻れない(不可逆な)質の変化が起こり、明らかに変わったのに、前の自分との違いを分けて表現することが極めて難しい変化が発達であるという。

これが動作法でも起こっていないか。

これは具体的な体験では逆上がりができるようになった、とか、自転車に乗れるようになる時の体験に近いように思う。

自転車のイメージを借りて、動作法とその他リラクゼーションとボディワークの違いについて考えてみようと思う。

なりたい姿は「自走できる自分」である。

自転車を初めて乗るとき、不安定で恐ろしく到底バランスをとるどころではない。おっかなびっくり、ギクシャクとして、予期不安で落ち着くどころではない。怪我をする、落ちるという予測イメージ(心の緊張)から、体は危機状態と察知して、既に筋を固め、息をつめている。そこに身体感覚、ましてやバランスを感じる余裕はほとんどない。そして大概、その予測は現実となるので、無頓着に繰り返す。

では「なりたい自分」になるにはどうするか。

→道具立て指向で考えれば、補助輪である。

これは、支援立てありき。ともあれ、不便でも、不格好でも、ハンドルを変にとられても「自走」は可能だ。

※リラクゼーションをもたらすために、針や按摩などを導入することに近いか。

→支えを入れることで可能になるならば、と考えるなら、援助法か。

支えを入れ、その状況に相手を慣れさせ、目的を達成する(させる)。

それが可能になる手法、技法にに注目すること

※道具の使い方、支え方の姿勢などの技法などについて語ることであろうか

ボディワークはこれら、緊張や不適応にいかに触る(アクセスして)か、結果として不適応がほどけるので、そこに技法や独自性を多く置いている印象がある。(※ここはうまく語れない…)

まだまだ本人はやってもらってできた体験の方が色が濃い。やり「型」が重要のため、そして、再現性を自身で持たせるには練習量はよっぽど感がよくない限りは量が必要となる。(鍛錬主義的?儀式的?)

→本人が自走し続け、行きたいところに行き、自転車に乗ることも、降りることもできる自由を手に入れる事。

本人が「自分でできる」体験を手に入れる事へ注力しているのが動作法だろうか。=支援者がいかに手を放すかに注目しているところに独自性がありそうと思われる。

自分の努力が分かって、それが有効に発揮されて初めて「できる」自分と出会うのではないか。それ目指すために、今を注視して「どんな体験をしているか」をより具体的に追おうとしている事が動作法の面白いところではないか。(そのために支える側と努力する側が明確に自他の区別をもっていることが、より支える側に求められるところにごまかしのきかない怖さを感じる。)究極にリアルを見る力を養う事が結果として、現実への適応への挑戦と調整力を養うことになるのかもしれない。

…などと、拡散しながら考えてみました。(HH初級者)

 

宮脇先生のお話しくださった成瀬先生とシュルツの話や緩むところまで自分を持っていけると言う話など興味深く聞かせていただきました。(SN中級者)

 

質問

他のボディーワークについて、私もそれほど詳しくないのですが。他のボディーワークは、体を道具として使っているけれど、イメージもかなり重視されているように感じます。イメージすることで動作法でいう「意図」が生まれてくる、みたいな印象があり、それは一瞬、体から離れているように思うのです。動作法は、絶対に体から離れることはなく、こころと体が一体となって動く点が他のボディーワークとは大きく異なるように思うのですが、いかがでしょうか?(KK資格者)

 

ジェンドリンの体験過程のどこが動作法に取り込まれているのかぜひお聞きしたいです。

                                                                    (OM資格者)

 

無意識、自覚できない心のプロセス、意識と無意識の間など表現が出てきましたが、心の構造?機能?については、どのように考えられていたのでしょうか?(TH初学者)

 

自由記述

次週5月17日は都合により欠席させていただきます。アーカイブで勉強させていただきます。(KK資格者)

 

失礼ながら、「まえがき」を中心に読み、「はじめに」はさらっと流し読みということはないですよね。「はじめに」を読んだ上でのお話だったのですよね。(YM資格者)

 

順番が前後いたしましたが、オンデマンドでついていきたいと思いますので、これからどうぞよろしくお願いいたします。(SN中級者)